もしまたその仕掛が人にさとられずに行えるほど無人のところなら死体が落ちてもすぐには発見されず、ほど経て発見された際には苦心のアリバイも役に立たず、五階の窓の外に仕掛けた縄を改めて取りこむだけ余計な危険にさらされているに過ぎないのである。
要するに人間性という点からありうべからざるアリバイで、かゝる無理を根底として謎が組み立てられている限り、謎ときゲームとして読者の方が謎ときに失敗するのは当然なのである。
角田喜久雄氏の「高木家の惨劇」では、吾郎という青年が自分でも何のためにアリバイをつくらねばならぬか知らないほどの漠然たる不安に、殺人犯人でもやらないような芝居がかったアリバイのつくり方、全然人間性というものを無視している。