要するに人間性という点からありうべからざるアリバイで、かゝる無理を根底として謎が組み立てられている限り、謎ときゲームとして読者の方が謎ときに失敗するのは当然なのである。
角田喜久雄氏の「高木家の惨劇」では、吾郎という青年が自分でも何のためにアリバイをつくらねばならぬか知らないほどの漠然たる不安に、殺人犯人でもやらないような芝居がかったアリバイのつくり方、全然人間性というものを無視している。
一方、吾郎にこうして三時のアリバイをつくらせる友子が、三時の銃声に吾郎の犯行と思ってピストルを隠す。
要するに人間性という点からありうべからざるアリバイで、かゝる無理を根底として謎が組み立てられている限り、謎ときゲームとして読者の方が謎ときに失敗するのは当然なのである。
角田喜久雄氏の「高木家の惨劇」では、吾郎という青年が自分でも何のためにアリバイをつくらねばならぬか知らないほどの漠然たる不安に、殺人犯人でもやらないような芝居がかったアリバイのつくり方、全然人間性というものを無視している。
一方、吾郎にこうして三時のアリバイをつくらせる友子が、三時の銃声に吾郎の犯行と思ってピストルを隠す。