彼女らが夜の橋の袂にタムロしてゐたりするのも、お客を物色するよりも、約束の人を待つてる方が多いので、我々東京の貧民どもは間違つてもパンパンに呼びかけられるやうな心配はないらしい。
彼女らのナジミ客はお金持ばかりで、熱海、箱根、銚子、日光、一週間も大名旅行につれて行かれるやうなことも再々で、家も配給もないけれども、我々よりも遥かに豪奢な生活をしてゐるのである。
だから彼女らには我々銀座の通行人も眼中になく、したがつて、我々がパンパンに就て考へる如く、パンパンといふものを惨めとも卑屈に思ふ考へ方など全然ない。