たいがい小説には多かれ少かれ作者の思想めくものが作中人物を思想的に動かしてゐるもので、さうすることによつて、さうしなかつたよりも曰くありげな面魂を作りだし、その作品の声価を高めたり低めたり、評者の評語を強いたりしてゐるものだ。
又、それによつて、文学史上の位置を占めることにもなる。
ところがラクロの「危険な関係」に至つては、作者の思想が作中人物に及ぶといふところが全くないに等しい、よつて又、文学史上の位置も有つて無きが如く、無くて有る如く、アイマイ、モコたるものでジッドの讃辞にも拘らず、ジッド宗徒のたむろする日本フランス文学者の間ですら、一向に声価は上らなかつた。