思想によつて動くことのない眼だと小林が徒然草の作者に就て言ふ言葉はラクロに就ても言へるけれども、徒然草の作者が否定的に見てゐることをラクロは肯定的に見てをり、否定的態度といふものが実はそれ自体強力な思想でありモラルであるのに比べて、肯定的態度といふものは決して自ら思想を構成するものではない。
ただ人間とその実相があるのみであり、それは即ち兼好は世捨人であつたに比して、ラクロは凡そ一つも世を捨てる片鱗もない生活人であつた。
この二つの決定的な相違は、一つの眼の及ぶ視界にも決定的な相違を現はし、従つて、兼好の眼は思想によつて動くことのない眼などといふ冷厳なものではなくて、世捨人の思想によつて曲げられた通俗的なフシアナの眼であつたにすぎない。