この二つの決定的な相違は、一つの眼の及ぶ視界にも決定的な相違を現はし、従つて、兼好の眼は思想によつて動くことのない眼などといふ冷厳なものではなくて、世捨人の思想によつて曲げられた通俗的なフシアナの眼であつたにすぎない。
二十世紀の私はラクロの如くに私の作品に「反良俗の弁」を書くほどの含羞はすでに無い。
それは恐らくラクロの方が私以上に「良俗」に就て侮蔑的であつたせゐだと私は思ふ。
この二つの決定的な相違は、一つの眼の及ぶ視界にも決定的な相違を現はし、従つて、兼好の眼は思想によつて動くことのない眼などといふ冷厳なものではなくて、世捨人の思想によつて曲げられた通俗的なフシアナの眼であつたにすぎない。
二十世紀の私はラクロの如くに私の作品に「反良俗の弁」を書くほどの含羞はすでに無い。
それは恐らくラクロの方が私以上に「良俗」に就て侮蔑的であつたせゐだと私は思ふ。