「危険な関係」が二百余年の時間の距りにも拘らず、最も近代を思はせるものは、それが思想によつて書かれずに、眼によつて、鬼の眼によつて、不動の眼によつて書かれてゐるからだと私は思ふ。
伊勢物語や西鶴の作品に近代の感覚が漂ふのは、その思想によつてでなく、ラクロに近似したその眼によつてのことである。
近くはレエモン・ラディゲがさうであり、人は彼が時間的に近代の人であるため、彼に時間的な近代を認めがちだが、単に昔ながらの文学の宿命的な近代、つまり人間を眼によつて描いてゐるにすぎないのである。
「危険な関係」が二百余年の時間の距りにも拘らず、最も近代を思はせるものは、それが思想によつて書かれずに、眼によつて、鬼の眼によつて、不動の眼によつて書かれてゐるからだと私は思ふ。
伊勢物語や西鶴の作品に近代の感覚が漂ふのは、その思想によつてでなく、ラクロに近似したその眼によつてのことである。
近くはレエモン・ラディゲがさうであり、人は彼が時間的に近代の人であるため、彼に時間的な近代を認めがちだが、単に昔ながらの文学の宿命的な近代、つまり人間を眼によつて描いてゐるにすぎないのである。