つまりラディゲの窓からは、まだ肉体の人間関係が閉ざされてをり、彼のエスプリ、彼の眼は、ただ思慕や姦淫の念とその裏側のカラクリをめぐる人間戯楽の図絵を突きとめ得たにすぎない。
ラディゲにも Diable au corps といふ十何歳かの作品があるけれども、その魔の宿る肉体は幻想的な自涜的肉体であるにすぎず、肉体によつて始まる愛憎、精神、真にぬきさしならぬ人間関係は全く描かれてはゐない。
そのやうな人間と人間関係を見る眼の成熟のためには、ラディゲの天才を以てしても、二十三歳の年齢では如何ともなしがたい性質のものなのである。