近頃の農村では「だまされた」といふ言葉が立派な弁明であるかのやうに頻りに用ひられてゐるのであるが、自らの責任に於て自主的に判断することが出来ないといふのは、まことに不名誉な話である。
自主的に自らの態度を定め責任を以て対処するだけの自覚がなくては原始の土人に異ならず「だまされた」といふ弁明によつて新らたな責任を回避しようとするに至つては上古さながらの狡猾なる農村の性格が露呈せられたものと言ふべきであらう。
全く農村には生活感情や損得の計算はあるけれども思想だの文化といふものは殆どない。
近頃の農村では「だまされた」といふ言葉が立派な弁明であるかのやうに頻りに用ひられてゐるのであるが、自らの責任に於て自主的に判断することが出来ないといふのは、まことに不名誉な話である。
自主的に自らの態度を定め責任を以て対処するだけの自覚がなくては原始の土人に異ならず「だまされた」といふ弁明によつて新らたな責任を回避しようとするに至つては上古さながらの狡猾なる農村の性格が露呈せられたものと言ふべきであらう。
全く農村には生活感情や損得の計算はあるけれども思想だの文化といふものは殆どない。