農村の習俗の多くはその排他性から生れたものであり、それが今日農村だけの特殊な行事として残つてゐるのも多くは排他性とか保守性に由来し、要するに彼等自らの歪められた教養に由来することが多いのであつて、決して農村の「あらねばならぬ」正しい姿を暗示してはゐない。
私が小学校の頃、新潟の当時木橋の万代橋がこはされて河幅がせばめられて鉄の橋が架けられることになり、日本一の木橋がなくなり郷土の自慢が一つへることに身を切られる思ひがしたものであるが、この子供心の奇妙な悲歎は私のみが経験したものではなかつたであらう。
そしてかゝる保守的な感傷は農村に於ては大人達の心にすら宿り、それが頑固な片意地にまで発育してゐるのではないかと思ふ。