実際スチーヴンソンという人は辻待の馬車を見てさえ、そこに一種のロマンスを見出すという人ですから」
辻馬車とロマンスに至って敬太郎は少し分らなくなったが、思い切ってその説明を聞いて見て、始めてなるほどと悟った。
それから以後は、この平凡極まる東京のどこにでもごろごろして、最も平凡を極めている辻待の人力車を見るたんびに、この車だって昨夕人殺しをするための客を出刃ぐるみ乗せていっさんに馳けたのかも知れないと考えたり、または追手の思わくとは反対の方角へ走る汽車の時間に間に合うように、美くしい女を幌の中に隠して、どこかの停車場へ飛ばしたのかも分らないと思ったりして、一人で怖がるやら、面白がるやらしきりに喜こんでいた。