織田信秀(信長の父)は家康を奪つたから広忠に使者をたて、今川との同盟を破つて自分の一味につくやうに、さもないと子供を殺すと言はせたが、広忠は屈せず、子供の命は勝手にするがいい、同盟はすてられない、とキッパリ返答した。
信秀はせつかくの計も失敗したが別段家康を殺しもせず、むしろ鄭重に養つてやつたといふことで、二年間織田のもとに養はれてゐた。
八ツの年に信秀が死に、これにつけこんで今川勢は織田を攻めて、家康は助けだされたが、このとき父広忠はすでに死んでゐた。
織田信秀(信長の父)は家康を奪つたから広忠に使者をたて、今川との同盟を破つて自分の一味につくやうに、さもないと子供を殺すと言はせたが、広忠は屈せず、子供の命は勝手にするがいい、同盟はすてられない、とキッパリ返答した。
信秀はせつかくの計も失敗したが別段家康を殺しもせず、むしろ鄭重に養つてやつたといふことで、二年間織田のもとに養はれてゐた。
八ツの年に信秀が死に、これにつけこんで今川勢は織田を攻めて、家康は助けだされたが、このとき父広忠はすでに死んでゐた。