家康にとつて父の記憶といへば父の風貌面影に就ては殆ど何も残つてゐない。
ただ、今川へ人質に送られる途中、織田家の者に奪ひとられ、その彼自身を種にして織田から徳川へ一味をせまつたとき、子供ぐらゐ勝手にするがいいさ、同盟は破られぬ、とキッパリ答へてきたといふ父、これぐらゐハッキリと記憶に残つてゐる父はないのである。
殺されるべき六歳の家康は殺されもせず、むしろ鄭重に育てられた。
家康にとつて父の記憶といへば父の風貌面影に就ては殆ど何も残つてゐない。
ただ、今川へ人質に送られる途中、織田家の者に奪ひとられ、その彼自身を種にして織田から徳川へ一味をせまつたとき、子供ぐらゐ勝手にするがいいさ、同盟は破られぬ、とキッパリ答へてきたといふ父、これぐらゐハッキリと記憶に残つてゐる父はないのである。
殺されるべき六歳の家康は殺されもせず、むしろ鄭重に育てられた。