ただ、今川へ人質に送られる途中、織田家の者に奪ひとられ、その彼自身を種にして織田から徳川へ一味をせまつたとき、子供ぐらゐ勝手にするがいいさ、同盟は破られぬ、とキッパリ答へてきたといふ父、これぐらゐハッキリと記憶に残つてゐる父はないのである。
殺されるべき六歳の家康は殺されもせず、むしろ鄭重に育てられた。
それは今川家に於けるお寺暮しの八年間よりもむしろもてなされ、いたはられたほどで、したがつて家康の織田に対する記憶は元来悪くない。
ただ、今川へ人質に送られる途中、織田家の者に奪ひとられ、その彼自身を種にして織田から徳川へ一味をせまつたとき、子供ぐらゐ勝手にするがいいさ、同盟は破られぬ、とキッパリ答へてきたといふ父、これぐらゐハッキリと記憶に残つてゐる父はないのである。
殺されるべき六歳の家康は殺されもせず、むしろ鄭重に育てられた。
それは今川家に於けるお寺暮しの八年間よりもむしろもてなされ、いたはられたほどで、したがつて家康の織田に対する記憶は元来悪くない。