こんな話は無論後世の作り話で、家康一代の浮沈を決する大問題を禅問答の要領で呑みこんでくるなどといふバカげた筈があるべきものではない。
特に家康正信はしつこいほど慎重なたちで、かりそめにもかかる軽率なやりとりですませるやうな人柄ではなかつたのである。
然し三成をかくまひ、翌朝は護衛までつけて佐和山へ送つてやつた家康の肚は、三成を生かしておけばやがて反乱のあげく三成党を一挙に亡しうるといふ、家康がその肚であるばかりでなく、三成がその肚を見抜きここへ逃げれば必ず助けられると見越して逃げこんだのだといふ。