この地区は東京でも工場地帯で、焼夷弾攻撃の外に爆弾にも大いに悩まされたところだ。
東京もお屋敷街は一夜に焼野原になつてそれで終りだが、我々のところは、焼ける前から爆弾に見舞はれ、焼けてからも、又くりかへして焼夷弾をバラまかれたり、爆弾をふりまかれたり、念入りの上にも念入りにやられたもので、まつたくウンザリしたものだ。
ところが五十名の優良工員の方は一向に役にたゝなくて、隣家へ焼夷弾が落ちて火事になつてもボンヤリ眺めてゐるだけであり、その次からは、警戒警報で勢揃ひをし、空襲警報になると各自全財産を背負つて粛々と逃げだす。