須永はもとの小川亭即ち今の天下堂という高い建物を目標に、須田町の方から右へ小さな横町を爪先上りに折れて、二三度不規則に曲った極めて分り悪い所にいた。
家並の立て込んだ裏通りだから、山の手と違って無論屋敷を広く取る余地はなかったが、それでも門から玄関まで二間ほど御影の上を渡らなければ、格子先の電鈴に手が届かないくらいの一構であった。
もとから自分の持家だったのを、一時親類の某に貸したなり久しく過ぎたところへ、父が死んだので、無人の活計には場所も広さも恰好だろうという母の意見から、駿河台の本宅を売払ってここへ引移ったのである。