階段を上る時、敬太郎は奥の部屋で微かに衣摺の音がするような気がした。
二階には今まで須永の羽織っていたらしい黒八丈の襟の掛ったどてらが脱ぎ捨ててあるだけで、ほかに平生と変ったところはどこにも認められなかった。
敬太郎の性質から云っても、彼の須永に対する交情から云っても、これほど気にかかる女の事を、率直に切り出して聞けないはずはなかったのだが、今までにどこか罪な想像を逞ましくしたという疚ましさもあり、また面と向ってすぐとは云い悪い皮肉な覘を付けた自覚もあるので、今しがた君の家へ這入った女は全体何者だと無邪気に尋ねる勇気も出なかった。