自ら人望が集るといふ通俗的な型で、自ら利用せられることによつて利用してゐる長者の風格であつた。
三成はそれに対比する自分自身の影に、孤独、自我、そして自立を読みだしてゐる、孤独と自我と自立には常に純粋といふオマジナヒのやうな矜恃がつきまとふこと、陋巷に孤高を持す芸術家と異るところはなかつたが、三成は己れを屈して衆に媚びる必要もあつたので、彼は家康の通俗の型に敗北を感じてゐた。
その通俗の魂を軽蔑し、それをとりまく凡くら諸侯の軽薄な人気をあはれんだが、通俗のもつ現世的な生活力の逞しさに圧迫され、孤高だの純粋だの才能などの現世的な無力さに自ら絶望を深めずにゐられなかつた。