天文十六年九月二十二日のことであったが、尾張の織田信秀が美濃へ攻めこんだ。
稲葉城下まで押し寄せて町を焼き払ったまではよかったが、夕方突然道三の奇襲を受けて総くずれになり、五千の屍体をのこして、わずかに尾張へ逃げ戻ったのである。
尾張半国の領主にすぎない織田信秀にとって五千の兵隊は主力の大半というべきであった。
天文十六年九月二十二日のことであったが、尾張の織田信秀が美濃へ攻めこんだ。
稲葉城下まで押し寄せて町を焼き払ったまではよかったが、夕方突然道三の奇襲を受けて総くずれになり、五千の屍体をのこして、わずかに尾張へ逃げ戻ったのである。
尾張半国の領主にすぎない織田信秀にとって五千の兵隊は主力の大半というべきであった。