もっとも金を払って筮竹の音を聞くほどの熱心はなかったが、散歩のついでに、寒い顔を提灯の光に映した女などが、悄然そこに立っているのを見かけると、この暗い影を未来に投げて、思案に沈んでいる憐れな人に、易者がどんな希望と不安と畏怖と自信とを与えるだろうという好奇心に惹かされて、面白半分、そっと傍へ寄って、陰の方から立聞をする事がしばしばあった。
彼の友の某が、自分の脳力に悲観して、試験を受けようか学校をやめようかと思い煩っている頃、ある人が旅行のついでに、善光寺如来の御神籤をいただいて第五十五の吉というのを郵便で送ってくれたら、その中に雲散じて月重ねて明らかなり、という句と、花発いて再び重栄という句があったので、物は試しだからまあ受けて見ようと云って、受けたら綺麗に及第した時、彼は興に乗って、方々の神社で手当りしだい御神籤をいただき廻った事さえある。
しかもそれは別にこれという目的なしにいただいたのだから彼は平生でも、優に売卜者の顧客になる資格を充分具えていたに違ない。