足利三代義満のころ、まだ南北朝の抗争のうちつづいたころであるが、奥州相馬の棟梁に相馬四郎義元という剣の名人があった。
この人が後に入道して念和尚と名を改め、諸国を行脚して剣を伝えて歩いたが、行く先々で鎌倉念流、鞍馬念流、奥山念流なぞと諸国に念流を残し、最後に信州伊奈の浪合に一寺を造って定着し、ここで多くの門弟に剣を伝えた。
この浪合で印可皆伝をうけたものが十四名あって、その一人に樋口太郎兼重があり、これが馬庭念流の第一祖である。
足利三代義満のころ、まだ南北朝の抗争のうちつづいたころであるが、奥州相馬の棟梁に相馬四郎義元という剣の名人があった。
この人が後に入道して念和尚と名を改め、諸国を行脚して剣を伝えて歩いたが、行く先々で鎌倉念流、鞍馬念流、奥山念流なぞと諸国に念流を残し、最後に信州伊奈の浪合に一寺を造って定着し、ここで多くの門弟に剣を伝えた。
この浪合で印可皆伝をうけたものが十四名あって、その一人に樋口太郎兼重があり、これが馬庭念流の第一祖である。