下田と江戸の陸上交通は山また山で非常に不便であるが、その不便なのが幕府の狙いで、外蛮の風俗を都に近づけないためという毛ギライから起っている。
オランダのカピタンを九州長崎に封じこめて近づけなかったのもその為であるし、仙台の伊達政宗が支倉を船出させた牡鹿半島の月ノ浦というところは他日通商を開く場合にここを港と政宗が予定していたところで、仙台と月ノ浦ではちょうど江戸と下田のような距離と不便さがあるのである。
通商はしたいが、外蛮の風を膝元に近づけたくないという神経は鎖国日本の特色で、下田選定はその神経のタマモノであった。