私の生家はもはや数代の昔から「ほらふきの家」と称ばれ、「山師の筋」とも称ばれ、時々は負けぎらひな「羽をむしられても喚きつづける鴉」のやうな精悍な気性を誇り得たことはあつても、むしろ概ね投機の打撃に打ちひしがれて尾羽打ちからした鴉のやうな乞食暮しをすることが多く、町民達の生きた「見せしめ」に引用されたり、笑ひ話の種になるのが普通であつた。
さういふ一家の歴史の中でも芹沢東洋は特別ひどい逆境のさなかに生れた。
二人兄弟の次男であつた。
私の生家はもはや数代の昔から「ほらふきの家」と称ばれ、「山師の筋」とも称ばれ、時々は負けぎらひな「羽をむしられても喚きつづける鴉」のやうな精悍な気性を誇り得たことはあつても、むしろ概ね投機の打撃に打ちひしがれて尾羽打ちからした鴉のやうな乞食暮しをすることが多く、町民達の生きた「見せしめ」に引用されたり、笑ひ話の種になるのが普通であつた。
さういふ一家の歴史の中でも芹沢東洋は特別ひどい逆境のさなかに生れた。
二人兄弟の次男であつた。