元来芹沢東洋は、そのペッシミズムから、責任をもつて弟子の教育に当るといふ余計な心労を厭うてゐて、絵によつて身を立てやうといふ弟子を専ら断はることにしてゐたが、或時近親の娘を託されたことが機縁となり、嫁入り前の茶の湯なみの稽古とか、有閑婦人の閑つぶしといふ責任のいらない場合に限り弟子をとることにしてゐたのだ。
芹沢東洋が第二回目の狂乱的な愛慕を寄せた伊吹山秋子は、それらの娘の一人であつた。
従而、いはばアトリヱの主ともいふべき私が、伊吹山秋子と特殊な関係を生じることになつたのも、決して偶然ではなかつたのだ。