私の記憶によれば、この父の代ですらなほ家運隆盛な一時期もあつて、ひところ四五十台の機械機を動かした頃なぞが目に浮かぶ。
その頃は恐らく全町の機屋でも屈指の盛運にあつたのだらう。
中学を卒へてから私は遊学のため上京叔父のもとへころがりこんだが、已にそのころ満身創痍の態にあつた傷心の叔父に懇望され、夏は山、冬は南海へといふ式にまことに道行のやうな愚劣な旅をつづけねばならず、帰省する折がなかつた。
私の記憶によれば、この父の代ですらなほ家運隆盛な一時期もあつて、ひところ四五十台の機械機を動かした頃なぞが目に浮かぶ。
その頃は恐らく全町の機屋でも屈指の盛運にあつたのだらう。
中学を卒へてから私は遊学のため上京叔父のもとへころがりこんだが、已にそのころ満身創痍の態にあつた傷心の叔父に懇望され、夏は山、冬は南海へといふ式にまことに道行のやうな愚劣な旅をつづけねばならず、帰省する折がなかつた。