私は当時蒲田にゐてお互の住所も近かつたが、奥さんは牧野さんに殴られると私のところへ逃げてくる、私は却々応接に多忙で、夫婦喧嘩の仲裁くらゐ味気ないものもあるまいから大いにくさつてゐた。
奥さんは私をとらへて牧野さんの乱暴や不身持を綿々と訴へるのだが、それほど大袈裟に言ふ正体は何もないことを知つてゐるから莫迦々々しく思ふのだが、牧野さんの厭人癖・孤独癖に同化され、夫婦二人の孤独感を合一せしめてゐる奥さんにとつて精神上の姦淫すら我慢がならぬといふなら、これも先づ致し方がない。
ヒステリイでさへなければ、牧野信一の文学と、文学の生む人生の仮構を充分に同情をもつて眺めてゐる奥さんだつたのである。