フロオベエルはドストエフスキーと殆んど似よつた人間関係を掴みだしてゐながら、彼の対象にくひこむ興昧は殆んど恋情とそれにからまる野心とだけに限られてゐるやうに見える。
アルヌウとフレデリックの錯雑を極めた人間関係やデロオリエとの憎悪にみちた友愛や、その奥にひそむところの生命の秘密ともいふべきところの野心や懊悩、さういふものは素材として掴みだされ呈出されてゐながら、彼の描写の興味は殆んどそれに向けられてゐない。
いはば恋情に向けられた激しい興味の派生的な筆力によつて恰好よくまとめられてゐるやうなものである。