ドストエフスキーは実人生に於て破廉恥漢であり、その動物性のあくどさに嘔吐を催せしめるほどの鼻もちならぬ人物であつたかも知れぬ。
フロオベエルの後半生は森に隠棲した聖者の如く静かなものであつたかも知れぬ。
然し乍らドストエフスキーは彼の文学の中においては決して鼻持ちならぬ破廉恥漢ではなく、その誠実な懊悩と数々の試煉の通過によつて、恰も愛の具現者の如く又生ける一人の聖者の如く高められた思想の中に自らを失ひ救ふことができてゐる。
ドストエフスキーは実人生に於て破廉恥漢であり、その動物性のあくどさに嘔吐を催せしめるほどの鼻もちならぬ人物であつたかも知れぬ。
フロオベエルの後半生は森に隠棲した聖者の如く静かなものであつたかも知れぬ。
然し乍らドストエフスキーは彼の文学の中においては決して鼻持ちならぬ破廉恥漢ではなく、その誠実な懊悩と数々の試煉の通過によつて、恰も愛の具現者の如く又生ける一人の聖者の如く高められた思想の中に自らを失ひ救ふことができてゐる。