彼等はその生涯作家であるよりも文学愛好者(アマトゥル)的態度を失はなかつた特異な文人でもあつたから、小説であれ手紙であれ、書かれるものすべてが一様に自己を語り自己を残したい願望のあらはれであつたのかも知れぬ。
また元来が紅毛人は自己を主張する点では日本人ほど抑制力がない。
従而その野心のあらはれも逞しいから、小説だけでこと足らず余剰勢力が手紙に及ぶといふことが有りうるのかも知れないし、他面セビニエ夫人等を指すところの手紙作家(エピストレエル)といふ特殊な名詞があるのでも分るとほり、日本人の手紙に比べるともともと紅毛人の手紙は一人に読ませるよりも万人に読ませる意識が強いのだ。