もしも作家が作品の前に自己を知つてしまふなら、彼の作品は自我のために限定され、己れの通路と限界の内部でしか小説を書き得なくなつてしまふ。
さういふ意味のことをジイドは「ドストエフスキー論」に書いてゐました。
すぐれた作家は作品の後に於てのみ自我を発見すべきもので、ドストエフスキーがさうであつたと言つてゐます。
もしも作家が作品の前に自己を知つてしまふなら、彼の作品は自我のために限定され、己れの通路と限界の内部でしか小説を書き得なくなつてしまふ。
さういふ意味のことをジイドは「ドストエフスキー論」に書いてゐました。
すぐれた作家は作品の後に於てのみ自我を発見すべきもので、ドストエフスキーがさうであつたと言つてゐます。