心は莫連でありながら、自分自身もはつきり掴んでゐないといふ、ゆとりからでたいい気な憂ひが実は文子の事実の姿であることに、結局左門は微塵も不安を懐かなかつた始末である。
その夜の左門の経験は、見やうによれば、彼の最後の饗宴にいかにもふさはしいものであつたといふことができる。
その一生が三階席の隅つこに押しこめられた観客にすぎないところの左門であつた。
心は莫連でありながら、自分自身もはつきり掴んでゐないといふ、ゆとりからでたいい気な憂ひが実は文子の事実の姿であることに、結局左門は微塵も不安を懐かなかつた始末である。
その夜の左門の経験は、見やうによれば、彼の最後の饗宴にいかにもふさはしいものであつたといふことができる。
その一生が三階席の隅つこに押しこめられた観客にすぎないところの左門であつた。