然し左様な自信の持ち方、狎れ方が、恋の作用であるかどうかは各人勝手の解釈にまかせる方が便利であり、かりにこれを恋の作用と断じたところで、要するにいらざる労力を費して在つて無きが如き消極的な事実を突き止めた愚を笑はれるにすぎないかも知れぬ。
なるほど我々は次のやうに言ふことはできるであらう。
確信の自信のなさ、それはいはばその確信にひとつの禁止がはたらいてゐたからである、と。
然し左様な自信の持ち方、狎れ方が、恋の作用であるかどうかは各人勝手の解釈にまかせる方が便利であり、かりにこれを恋の作用と断じたところで、要するにいらざる労力を費して在つて無きが如き消極的な事実を突き止めた愚を笑はれるにすぎないかも知れぬ。
なるほど我々は次のやうに言ふことはできるであらう。
確信の自信のなさ、それはいはばその確信にひとつの禁止がはたらいてゐたからである、と。