即ち先生、再びこゝに、見事に鴨となり果てたのである。
先生悲嘆にくれること限りなく、ベロナールにしようか、いつそピストルにしてくれようかと、思ひつめたほどであつたが、娘帰宅の報にこれも面目玉を踏みつぶした三宅君にやにやてれながら現れて、悲嘆の小生に血涙したゝる同情を寄せ、然らば河豚に致さうと、河原町四条へ、生れて始めての河豚くひに出掛けたのは、まさしくこの時であつたのである。
祇園乙部の界隈に、名高い豆腐屋があつて、隠岐和一の話(これが時々大いに当にならないのだが)によると、日本一の豆腐ださうだが、東京のさる高名の料理屋が、この豆腐の製法をつぶさに模して作つたところ、一丁が五十銭につくので断念したといふ話があるのださうである。