ブリの大謀網でもうけたのを皮きりに、今では各漁場にポンポン漁船の船主であり、温泉旅館なども経営しているが、終戦後は持船を使って大がかりの密貿易をやり、砂糖だの麻薬などでシコタマ稼いでいるという噂であるが、六十ちかい年になって昔に劣らぬ腕力があり、海道筋では最も睨みのきく顔の一つであった。
話は昭和十七年にさかのぼり、当時彼の長男の公一とその一子仁一が冬の暮方、海釣りの帰りに轢死した事件が起った。
倉田家は小田原城外の野球場の山上に大きな邸宅があり、早川口で海釣りをして帰るには、当然閑院宮別邸前の山径を辿ることになり、同時に、小田原城の下を通るトンネルから汽車のでてくる線路に沿うて歩くことになるのである。