その晩、本因坊と私は定刻にモミヂへ来たが、呉八段は神様と一しよに行方不明で、主催者の新聞を慌てさせたものであつた。
その当時の呉八段は、神様のせゐで、見る目も痛々しいものであつた。
神様は信者もへり、後援者もなく、ケン族五六名ぐらゐの小人数に落ちぶれて、津軽のどこかへ都落ちして、神様ケン族の生活費はもつぱら呉八段の対局料に依存してゐたやうである。
その晩、本因坊と私は定刻にモミヂへ来たが、呉八段は神様と一しよに行方不明で、主催者の新聞を慌てさせたものであつた。
その当時の呉八段は、神様のせゐで、見る目も痛々しいものであつた。
神様は信者もへり、後援者もなく、ケン族五六名ぐらゐの小人数に落ちぶれて、津軽のどこかへ都落ちして、神様ケン族の生活費はもつぱら呉八段の対局料に依存してゐたやうである。