東大神経科へ入院したのは二月十七八日ごろのことで、そのときは、喋ることも、歩行もできず、たゞ幻視と幻聴に苦しみつづけていた。
すでに歩行も不可能であるから、兇暴期もすぎていたが、たゞ、私の忘れていないことは、一度も自殺を意志しなかったこと、たゞ生きること、そして、仕事の完成だけを考え、何よりも自殺の発作を怖れつゞけたことであった。
千谷さんから、二ヶ月で必ず治してみせます、と云われたときに、私はたゞ恢復しうる感動で、胸がいっぱいであった。
東大神経科へ入院したのは二月十七八日ごろのことで、そのときは、喋ることも、歩行もできず、たゞ幻視と幻聴に苦しみつづけていた。
すでに歩行も不可能であるから、兇暴期もすぎていたが、たゞ、私の忘れていないことは、一度も自殺を意志しなかったこと、たゞ生きること、そして、仕事の完成だけを考え、何よりも自殺の発作を怖れつゞけたことであった。
千谷さんから、二ヶ月で必ず治してみせます、と云われたときに、私はたゞ恢復しうる感動で、胸がいっぱいであった。