つまり群像は、十一月号から、私が「にっぽん物語」の続稿を掲載する筈の雑誌なのである。
したがって、「まえがき」の部分で、某誌とあるのは、実は「群像」自体をさすことになるのであるが、私は故意に訂正しないことにした。
この小文が、私の一生の記念的な転機となってくれゝば幸いであるが、私はそれを信じて疑わないものである。
つまり群像は、十一月号から、私が「にっぽん物語」の続稿を掲載する筈の雑誌なのである。
したがって、「まえがき」の部分で、某誌とあるのは、実は「群像」自体をさすことになるのであるが、私は故意に訂正しないことにした。
この小文が、私の一生の記念的な転機となってくれゝば幸いであるが、私はそれを信じて疑わないものである。