私が去年の夏、旅先で仕事をしようとして、ノートブックを用いることにした原因の一つは、この幼い記憶、幼い快感が、私を誘う力となっていたことも事実である。
然し、すべてそれらの希望が虚しいものであることが分って後は、それらのすべてが、たゞ負担となり、虚しい希望の故に、私は、更に、苦悶し、希望によって、地獄を見つめるようなものであった。
私はよく熱海へ行ったが、希望の虚しさに苦悶して、熱海まで行き得ず、小田原で下車して(私は十年ほど以前に小田原に一ヶ年ほど住んでいた)酔い痴れざるを得なかった。
私が去年の夏、旅先で仕事をしようとして、ノートブックを用いることにした原因の一つは、この幼い記憶、幼い快感が、私を誘う力となっていたことも事実である。
然し、すべてそれらの希望が虚しいものであることが分って後は、それらのすべてが、たゞ負担となり、虚しい希望の故に、私は、更に、苦悶し、希望によって、地獄を見つめるようなものであった。
私はよく熱海へ行ったが、希望の虚しさに苦悶して、熱海まで行き得ず、小田原で下車して(私は十年ほど以前に小田原に一ヶ年ほど住んでいた)酔い痴れざるを得なかった。