然し、マッチ箱のような混雑した中央線で、七時間半もゆられることには体力的に堪えがたくなっていたので、そう多く行くことはできなかった。
私が諏訪へ行くようになったのは、Wという若い友人が胸を病んで、富士見のサナトリウムに居り、彼をムリにそこへ行くようにさせたのも私であるから、彼を見舞う責任が私にあったせいである。
富士見のサナトリウムといえば、いかにも白樺にかこまれた高原の詩趣にみちているようだが、実状は、高原のコヤシ臭い畑の中のもう廃屋に近いようなうそ寒いところであった。
然し、マッチ箱のような混雑した中央線で、七時間半もゆられることには体力的に堪えがたくなっていたので、そう多く行くことはできなかった。
私が諏訪へ行くようになったのは、Wという若い友人が胸を病んで、富士見のサナトリウムに居り、彼をムリにそこへ行くようにさせたのも私であるから、彼を見舞う責任が私にあったせいである。
富士見のサナトリウムといえば、いかにも白樺にかこまれた高原の詩趣にみちているようだが、実状は、高原のコヤシ臭い畑の中のもう廃屋に近いようなうそ寒いところであった。