せんだってもある人がコンラッドのようなものを描いてどこが面白いかと聞いたから、余は、自然の経過は人情の経過と同じような興味をもって読む事のできるものだ、普通のが人情小説なら、コンラッドのは自然情小説だと答えたくらいだから、余は日高君よりは一歩極端に走って、自然と人間を対等に取扱う境を通り越して、自然を主、人間を客と見た面白味をさえ解しているつもりである。
現にタイフーンのごときまた、舟火事(名前を忘れたり)のごときは単にタイフーンを写し、単に舟火事を写したものとして立派な雄篇である。
首尾一貫前後相待って渾然と出来上がっている。