富戸という漁村は水屍体を鄭重に葬ることには歴史があって、頼朝が蛭ヶ小島に流されていたとき伊東祐親の娘八重子と通じて千鶴丸をもうけたが、祐親は平氏に親しんでいたから、幼児を松川の淵へ棄てさせてしまった。
稚児の屍体は海へ流れて、辿りついたのが富戸の断崖の海岸だ。
これを甚衛門という者が手厚く葬ったところ、後日将軍となった頼朝の恩賞を蒙り、その子孫は生川の姓を名乗って現存しているという。
富戸という漁村は水屍体を鄭重に葬ることには歴史があって、頼朝が蛭ヶ小島に流されていたとき伊東祐親の娘八重子と通じて千鶴丸をもうけたが、祐親は平氏に親しんでいたから、幼児を松川の淵へ棄てさせてしまった。
稚児の屍体は海へ流れて、辿りついたのが富戸の断崖の海岸だ。
これを甚衛門という者が手厚く葬ったところ、後日将軍となった頼朝の恩賞を蒙り、その子孫は生川の姓を名乗って現存しているという。