そのくせ新聞は一億一心、愛国の至情全土に溢れているようなことしか書かないけれども、書けないからで、もしも今日同様なんでも書ける時代なら、道義タイハイ、人心の腐敗堕落ということは、先ず戦争中に於て最大限に書かれる必要があったのである。
新聞が書きたてることができず、誰も批判を発表することを許されなかった時代には、報道をウノミにして事の実相を気付かず、批判自由で新聞が書きたてる時代に至って報道通りのことを発見して悲憤コーガイ憂国の嘆息をもらすという道学者は、目がフシ孔で、自分の目では何を見ることもできない人だ。
口に一死報国、職域報国を号令しつつ腐敗堕落無能の極をつくしていた軍部、官僚、会社の上ッ方にくらべれば、敗戦焼跡の今日、ごく限られたパンパン男娼の存在の如きは物の数ではあるまい。