Y氏の柄に合ったもののようにも見えなかったし、編輯上の識見があったとも思われないが、なんの困果でこんな雑誌をだしたのか私は今もって知らないが、徹底的にピント外れで、Y氏ならびに雑誌合せて、奇抜、ユニックな存在だったかも知れない。
そのうち出版不況の時世となって、Y氏の雑誌も立ちゆかなくなり、旧知の作家O氏の救援を乞うたところ、O氏のはからいで、O氏や私を同人ということにして、新雑誌をだすことになった。
そのとき、新雑誌のために二十万円ポンと投げだしたのが、O氏の知人で熱海大火の原因となった何とか組の何とか親分だ。