邪教退治というものは、新興成金にヤキモチをやきすぎる傾き濃厚で、もっと大きな悪質の狸は、他にゴロゴロしているようだ。
私が巷談で邪教を扱ってみたかったのは、お金もうけのカラクリなどをバクロしようというのではなく、どういう人間が、どういう風に信仰し、どういう効能に浴しているか、効能の実際の方を見たかったのである。
その効能が狂信者の幻覚上の存在にすぎなくとも、その当人にとって、効能は効能である。
邪教退治というものは、新興成金にヤキモチをやきすぎる傾き濃厚で、もっと大きな悪質の狸は、他にゴロゴロしているようだ。
私が巷談で邪教を扱ってみたかったのは、お金もうけのカラクリなどをバクロしようというのではなく、どういう人間が、どういう風に信仰し、どういう効能に浴しているか、効能の実際の方を見たかったのである。
その効能が狂信者の幻覚上の存在にすぎなくとも、その当人にとって、効能は効能である。