私が巷談で邪教を扱ってみたかったのは、お金もうけのカラクリなどをバクロしようというのではなく、どういう人間が、どういう風に信仰し、どういう効能に浴しているか、効能の実際の方を見たかったのである。
その効能が狂信者の幻覚上の存在にすぎなくとも、その当人にとって、効能は効能である。
宗教の法悦というものは、それに無縁の私にとっては、大そう興味が深いのである。
私が巷談で邪教を扱ってみたかったのは、お金もうけのカラクリなどをバクロしようというのではなく、どういう人間が、どういう風に信仰し、どういう効能に浴しているか、効能の実際の方を見たかったのである。
その効能が狂信者の幻覚上の存在にすぎなくとも、その当人にとって、効能は効能である。
宗教の法悦というものは、それに無縁の私にとっては、大そう興味が深いのである。