克子の教育費は、亮作を含めた生計費に用いることを禁ぜられ、信子もその禁令を堅く守っていたが、戦争がはげしくなり克子への食糧が大伯母から届けられるようになると、そのもの自体の恩恵に浴することは稀れであっても、配給の食糧をかなり豊富にとることができて、亮作も間接の恩恵に浴することができた。
母と娘は、夜毎に疎開の荷造りをしていた。
荷物の送り先は、もちろん大伯母のもとであり、亮作の品物がその荷造りから一切はぶかれていたことは言うまでもなかった。
克子の教育費は、亮作を含めた生計費に用いることを禁ぜられ、信子もその禁令を堅く守っていたが、戦争がはげしくなり克子への食糧が大伯母から届けられるようになると、そのもの自体の恩恵に浴することは稀れであっても、配給の食糧をかなり豊富にとることができて、亮作も間接の恩恵に浴することができた。
母と娘は、夜毎に疎開の荷造りをしていた。
荷物の送り先は、もちろん大伯母のもとであり、亮作の品物がその荷造りから一切はぶかれていたことは言うまでもなかった。