上野の地下道の住人でこれを聞き伝えた一部隊の移住をはじめとして、やがて六十世帯ぐらいがここに住みついてしまったのである。
その一人に、もと中等学校(今の高等学校に当るわけだが)の教師だったという六十ぐらいのジイサンがいた。
いったいに、ここの乞食は栄養に事欠かないのか血色がよくて肉づきもよく、また気の向くままに田園の露天温泉に浴することもできるせいか、身ギレイで、戦争中の焼けだされた人々よりもよほどキチンとした風をしていた。
上野の地下道の住人でこれを聞き伝えた一部隊の移住をはじめとして、やがて六十世帯ぐらいがここに住みついてしまったのである。
その一人に、もと中等学校(今の高等学校に当るわけだが)の教師だったという六十ぐらいのジイサンがいた。
いったいに、ここの乞食は栄養に事欠かないのか血色がよくて肉づきもよく、また気の向くままに田園の露天温泉に浴することもできるせいか、身ギレイで、戦争中の焼けだされた人々よりもよほどキチンとした風をしていた。