自分は天性右を向いているから、あいつが左を向いているのは怪しからんというのは不都合じゃないかと思うのです。
もっとも複雑な分子の寄って出来上った善悪とか邪正とかいう問題になると、少々込み入った解剖の力を借りなければ何とも申されませんが、そうした問題の関係して来ない場合もしくは関係しても面倒でない場合には、自分が他から自由を享有している限り、他にも同程度の自由を与えて、同等に取り扱わなければならん事と信ずるよりほかに仕方がないのです。
近頃自我とか自覚とか唱えていくら自分の勝手な真似をしても構わないという符徴に使うようですが、その中にははなはだ怪しいのがたくさんあります。