自分の弟子や流派に私情をもつ人にも選者の資格はないと私は思う。
芸術はもっと大らかな大きなもので、小さな自己への怖れを知る人でなくては、物の正しい姿を認定することはできない。
選の狂いというものは、あるのが自然かも知れないが、戦後派賞のような、とんでもない狂い方というものは、あんまり頓狂すぎて、箸にも棒にもかかりやしない。
自分の弟子や流派に私情をもつ人にも選者の資格はないと私は思う。
芸術はもっと大らかな大きなもので、小さな自己への怖れを知る人でなくては、物の正しい姿を認定することはできない。
選の狂いというものは、あるのが自然かも知れないが、戦後派賞のような、とんでもない狂い方というものは、あんまり頓狂すぎて、箸にも棒にもかかりやしない。